2024年 03月 12日
質問と回答
質問〔あああああ様〕
なんだか偉そうにしていますがあなたの学歴は?
回答〔會田茂樹〕
この度は、ご質問ありがとうございます。
たまに問われます。
わたしの学歴は高卒です。
以下は、音声医科学に関係ないプライベートな話題となりますので、お読みにならなくてもよいかと存じます。
ご興味のある方だけどうぞ…
まず、わたしは、かなり境遇の変化が激しい人生だと思っています。
45年ほど前、高校卒業後、私立大学に進学しました。
当時、付き合っていた同学年の女性と結婚するため、手っ取り早く稼ぐ資格をと考え、柔道整復師の専門学校に通い、免許を取りました。
そう、学生結婚、かなりの早婚ですね。
高校や大学の学校名を伏せる理由は次です。
通っていた高校の同じクラスの友人には、医師・歯科医師や大学教授がいるため、わたしの存在で高校の価値を貶めるわけにいかず、名前を伏せました。
また、私立大学は、親からもらった授業料を納めず、新婚の生活費に充てました。
それにより、当然の如く、退学(放校処分)になりました。
強制的な退学ですから、大学名を伏せさせてください。
さて、柔道整復師として活動していく中で、業務に物足りなさを感じてきました。
そこで、家族の応援もあって、医学部を目指しました。
1年後に地方の私大医学部、2年後に地方の国立大学医学部に、合格や補欠合格しました。
ただ、身勝手な感覚として、地方に赴くのは、なんだか都落ちのような気がして…
その頃のわたしは、医者になって周囲に自慢したいという欲で、相当に傲慢でした。
それも、東京大学理科Ⅲ類しかないと勝手に信じ込み、必死で勉強しました。
河合塾・駿台予備校・代々木ゼミナールの模試では、C判定(ボーダーライン)までは出るものの、その後の東大受験で、三回とも落ちました。
ちなみに、模試の最も良い成績は、全国で総合36位でした。〔最終的に合格という結果を出せないなら意味はありません〕
そして、最後の受験と決めて臨み、不合格を見た瞬間、すがすがしく気持ちが晴れたのです。
そのとき「わたしは医者になる定めではなかった」と悟り、「それならば柔道整復師として軟部組織を極め、家族と社会のために生きていこう」と、ポジティブな気持ちで、次に向かったのです。
ありがたいことに、最初の開業から間もなく、毎日200人以上が来院する接骨院となりました。
その後、分院の開業や他事業(飲食店・物販店・輸入会社・学習塾)を展開し、もともと好きだったオペラや歌にのめり込み、音大声楽科の優秀な指導者と出会い、喉頭機能外科の神さま一色信彦先生から直接ご教授いただき、ボイスケアの概念が誕生しました。
ここより後は、皆さまご存じの通り。
そうです、外喉頭研究と技術研鑽の楽しい日々。
よって、わたしは高卒です。
数年前までは、恥ずかしくて言えませんでしたが、とうに還暦を超えた今、胸を張って言えます。
学歴は、一つの指標にはなりますが、それだけで人生の価値を判断するものではないと。
世の中の高卒や中卒の皆さん、自信を持って生き抜いてください。
愚直に一本の刀を磨き上げ続ければ、そうは簡単に負けませんから!
追記:つい数年前、80代後半の母に「実は、大学の授業料を生活費に使い込んでいた」と正直に打ち明けたところ、穏やかな口調で「知っていたわよ」と言われ、涙が出る思いでした。知っていて何も言わず、父が他界して片親にもかかわらず、退学処分が下るまで大学の授業料を出し続けてくれた母に、深く感謝します。合唱…
ボイスケアサロンⓇ
會田茂樹(あいだしげき)