痙攣性発声障害の克服記


中部地方からお越しいただいた女性の手記です。

原文そのまま掲載します。

ハードなボイスケア(外喉頭筋の柔軟性獲得・発声関与筋の筋トレ・発声力アップのトレーニングなど)をやり遂げた努力には頭が下がる思いです。

実は、それだけなく、彼女の“発声のフィジカルセンス”が優れていた点も、好結果につながったものと推察します。

最終的には、音声障害であったことさえわからないほど素晴らしい声になりました。

本当にお見事です。

この先のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。






私は5年前に痙攣性発声障害になり、3年前に手術を受けました。

手術後、自分で納得するような結果が出ず、いろんなことを調べ、やってみて、ボイスケアサロンにたどりつきました。


5年前、会社の電話をとったとき、あれっ?今日はなにか調子が悪いのかなっと思ったのが、痙攣性発声障害のはじまりでした。

私は会社員で事務をやっています。

基本的にはデスクワークですが、電話の応対、お客様の接客も行います。

電話に出たときに社名を言うのですが、初音が出づらく感じました。

はじめにそう感じたときは、特に何も思わず、何か喉の調子が悪いと思うだけでした。が、今日もまたおかしいと思う日々が続くようになりました。

そのうち、初音が出づらいことに加え、電話で喋るときに息苦しくなるようになしました。過呼吸のような状態になり、一文を喋り終えるころには、声が震えるようになりました。

その頃には、調子が悪いだけではすますことができなくなり、自分の状況をネットで調べまくりました。

そうすると、過緊張発声や痙攣性発声障害など諸々な症状(病名)がでてきました。自己分析により、電話の応対時のみ声が出づらくなることから、病気ではない、病気であれば四六時中おかしいはずだと思い、過緊張によるものかと思い、メンタルクリニックを受診することにしました。

もともと、電話や接客応対は好きでしたし、得意というか、苦手ではありませんでした。が、電話応対時の不調により、電話がこわくなるようになりました。電話の音がなると、緊張し、さらに声が出づらくなるという負のスパイラルに落ちました。

メンタルクリニックでは、ネットで調べた痙攣性発声障害の話もしましたが、専門医ではないためか、メンタルによるものだからと、緊張を抑える薬を飲み始めました。クリニックでは、声が出しづらくなる症状は出ず、声の調子は良いことがほとんどでした。約半年間通い、薬も飲み続けましたが、声が出しづらいことによる過緊張状態の緩和は全くありませんでした。

その頃にはさらに症状も悪化していきました。

はじめは電話だけだったのが、人と喋る時も、声が出しづらくなってしまいました。


あいさつでは、

「おはようございます」→「・・・うございます」

「いらっしゃいませ」→「・・・・・いませ」

「ありがとうございました」→「・・・・うございました」

というようにしか、声が出なくなりました。

また、は行の言葉のとき、息がもれて、音が出ないようになりました。

あいさつでは、状況がわかるため、喋りはじめの言葉が出なくても何となく何を言っているか聞こえていたと思います。

が、は行の言葉が出ないのは、言葉が通じません。でも、日本語は素晴らしく、いろいろな言い回しができます。

「3時半」→「330分」

「ホットコーヒー」→「あたたかいコーヒー」

と、いろんな言葉に変換して、自分の出しやすい音で喋るようになりました。

いろいろと考えて喋るようにはなりましたが、声が出ないことにより、え?と聞き返されたり、おかしな顔をされたりするようになりました。

そうするとまた、落ち込んで余計に声が出しづらくなり、負のスパイラルです。

特に知人の前では、声が出ない出しづらいことを隠そうと、必死に喋りました。


メンタルクリニックでは、声の改善にはなりませんでしたので、耳鼻科を受診することにしました。

この頃、また私の自己分析により、痙攣性発声障害である可能性が高いと思っていました。この痙攣性発声障害の方のブログや情報を参考にすると、耳鼻科に言っても理解してもらえないとか、今までの苦労が書かれたものをよくみました。

私の行く耳鼻科ではどのような対応をしてもらえるのかなと、不安と期待を抱えながら受診しました。

はじめに今までの経緯を話して、痙攣性発声障害ではないかということも話しました。先生はこの病気のこともご存知でしたが、それを判断するのは非常に難しいとおっしゃられました。

声が出しづらい原因を徹底的に調べました。

ただ、耳鼻科に行くと非常に調子が良く、調子が悪いときに見せてと言われたり、悪くて行くと良くなったりとなかなか症状を診てもらうことが難しかったです。

耳鼻科でも症状改善のためにいろいろな薬も処方されましたが、良くなることはありませんでした。

先生も診断は難しいが、一度、痙攣性発声障害の手術や経験の多い病院を紹介してくださいました。その病院はすでにネットで調べ済みでしたので、ようやくというかやっとここまでたどり着いたという安心感でほっとしました。

私の住む地域にはその病院はなく、近いところで東京か京都でした。

京都のほうが少し近かったので、そちらの病院を選択しました。


京都の病院は、大変人気でその予約をとるのも何ヶ月待ちということでしたが、紹介状があることにより、すぐに診てもらえました。

そこからはトントン拍子で手術まで進みました。

やはり、痙攣性発声障害で内転型と外転型の混合という診断を受けました。

痙攣性発声障害は治る病気ではなく、手術や注射、音声訓練などの治療はありますが、全て完治というわけでなく、緩和させるというものでした。

私は手術を選択しました。

痙攣性発声障害は人に理解されにくい病気です。

ある時は声が出るのに、ある時は声が出ないという、勝手な病気のため、わがままではないかと思う人もいます。会社でも病気ということを理解してもらうための口実の一つとして、手術を選んだことも事実です。

人生で初めての手術でしたので、すごく緊張もしましたが、無事に終えました。

さすが名医で、手術の跡も全くわかりません。


後は手術の影響により、声がとおらない声になりました。

もともと、声も大きくとおる声でしたので、違和感を感じましたが、そのような声になると説明も受けていたので、受け入れました。

が、私はとてもわがままでした。

手術により、70%は良くなったと思いますが、少し良くなれば、その70%の状態が当たり前になり、もっと良くなりたいと思うようになりました。

術後も調子が良い悪いのむらはありました。

そこでまたネットで調べまくりました。

まずは自宅から近いところで通える、姿勢の軸を整えることによって声を出しやすくする方法をためしました。

良くなったような、でも自分で納得のいくものにはなりませんでした。


でも、日常生活のなかで、声に関して限界を感じる中、ボイスケアサロンにたどりつきました。

が、通うのに遠く交通費がかかること、料金も高いこと、良くなる保証もないことなど、いろいろ葛藤しましたが、もし良くなるのであればという期待を持って、はじめて予約をしました。


初回のカウンセリングでは、私の声の苦しい状態を理解していただけ、まずはほっとしました。声が出しづらくなってから、なんとか声がでるようにと変に力を入れたり、無理やり声を出していました。先生には、お見通しでした。

私は痙攣性発声障害による治療は手術をしたことによって、完了しています。

あとは、声を出しやすくということが課題でした。

ボイスケアサロンはまさに、声を出しやすくというアプローチをしていただける所でした。


そして、私はボイスケアサロンに通うことを決めました。

喉の硬さの数値は初回は70以上、施術をうけると数値が下がり、次回行くとまた少し戻ってしまっています。施術を受けることによって、筋力がつき、硬さの数値も1020に安定してきました。(1015の数値が優良な値だそうです)

数値が下がると、声も出しやすくなりました。

喉の柔軟性が確保できるようになると、レベルアップしたメニューも受けれるようになりました。


通い始めて数ヶ月たったころ、友人に会いました。

ボイスケアサロンに通っていたのは知っていたのですが、声の調子いいね!と言ってくれました。別の友人は、前(痙攣性発声障害になる前)と変わらないよと言ってくれました。

声は人に伝えるものなので、人にどう聞こえるかを私自身も気にしていました。

友人の言葉は、私の自信にもなり、施術の効果が出ている確信にもなりました。


常生活でもムラはありますが、調子がいい日が多く続くようになりました。

調子がいいと、気分も明るくなり、全てがいい方向に進みます。

ボイスケアサロンの予約が楽しみになってきました。

通いながら、東京観光をしたり、知人と会ったり、別の楽しみも作りました。


半年くらいたつと、日常生活にはほとんど支障がなくなりました。

もともとカラオケが好きだったけど、この病気になり諦めていました。

が、先生に行ってみるといいよと、言っていただき、何年かぶりにカラオケに行きました。以前とくらべると伸びやかに歌えなかったり、高音が出づらくなったりと、歳のせいなのか、病気のせいなのかはわかりませんが、楽しむことができました。

私は日常生活に支障がないくらいの声を求めていましたが、それ以上のこともできるようになったことは、とても嬉しかったです。


ここまで普通の状態になると、調子がいいのが当たり前になってきます。

たまに、声が出しづらくなると、おかしいと思い、求めるレベルがどんどん高くなっていきました。

はじめと比べると格段に声が出しやすくなっているのですが・・・私はわがままでした。


先生から、もうすぐ卒業できるとの判断もいただき、声の調子がいいという嬉しさと、通わなくなったら大丈夫かなという不安な気持ちになりました。

そして、いよいよ痙攣性発声障害を乗り越える筋力と声を獲得し、ボイスケアサロン卒業という日をむかえました。

先生は、私の声の辛さも理解してくださり、とても明るく、前向きに通うことができました。ボイスケアサロンは声を使う声のレベルが高い方が多くみえる中、私のような低レベルの人にも、丁寧に接してくださいました。

先生にはとても感謝しています。

声を諦めずに、良かったです。





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喉と声のスポーツトレーニング&リラクゼーション
 ボイスケアサロン
 會田茂樹|あいだしげき 




Detailed voice dictionary
 
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~重要なお知らせ~ ●外喉頭から考究する発声の理論と技術は日々進化しています。この記事は掲載時の情報であり、閲覧時点において最新・正確・最良でない可能性があります。すべての記事の内容に関し、一切の責務を負いません。●記事の内容は万人に適合するものではないため、当サロンの施術に関し、記事の内容通りの効果や結果は保証も確約もしておりません。〔当サロンでは役立てないと判断された場合、理由を問わず施術をお断りします〕●声や喉の不調は、最初に専門医の診察を受けてください。歌唱のトラブルは、最初にボイストレーナー(音楽教師)にご相談ください。





by aida-voice | 2018-06-09 04:22